アフガニスタンで長年人道支援活動を続けていた中村哲氏が凶弾に倒れた。医師であり、医療に携わりながらその活動の中心は井戸を掘り、水路を造成することであった。

荒れ果てた茫漠の土地を緑の大地に変えた。

この地アフガニスタンで、いのちを救うという大局に立った時、なにより大切なことは水である、という結論に達した。

井戸を掘り、大地に水と緑をもたらし、人々のいのちを救った。

常に朴訥とした語り口で決して偉ぶることはなく、権威権力におもねることなく、名誉栄達にまるで興味はなく、目の前のやるべきことを黙々とやり続け、人々から愛された。

偉人である。

その中村哲氏が大切にしていた言葉に「一隅を照らす」がある。

クリスチャンであった中村氏であるが、この言葉は仏教の言葉であり、伝教大師最澄の言葉である。

自分の持ち場で、どんな小さなことでも社会の片隅で自分にあたえられた仕事に懸命に取り組み、最善を尽くす。

ひとりひとりの、「一隅を照らす」、という行為が寄り集まってこの世界を照らすことになる。

中村氏はこう語っている。
「どこでもいいから深いところへ入れ。そこにはことごとく真実がある」

実は一年ほど前、クラスの男子生徒が俺にこんなことを言った。

中村哲さんって知ってますか?あらひらせんせいにそっくりなんです。

ていうか、写真を見た時、あらひらせんせいだと思いました、と。

えっ、そうなんか。

あのアフガニスタンで活動している中村哲さんか?

はい、そうです。

ほほほ、顔が似ているってこと?

そうです。せんせいとあまりに顔がそっくりで驚きました、と。

日頃から「男子高校生が日常でなんとなく思うことがほぼ正しい」説を唱えているので、それだったらそうかもしれない、と彼の言葉を受けとった。

反面、そやけど、似てますかな、というところもなくはなかった。

そんな出来事から、なおさら、中村哲氏に勝手に思いを近づけていたこともある。

その存在はあまりに遠く、100万歩以上も離れた存在であるが、一歩でも半歩でも近づくことは出来ないものかと。

一足でも近づくことは出来ないかと。